2013年8月21日水曜日

富士登山者急増

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2013年6月22日、富士山は、第37回ユネスコ世界遺産委員会において、世界文化遺産登録を果たしました。
これは富士山の姿が、森厳で美しく、様々な芸術作品でも表現されるほどの美術的造形的価値があると判断し、2007年1月にユネスコへの推薦候補に挙げたのが切欠でした。
世界文化遺産の概念に『文化的景観』という項目があります。長年に渡り、地域共同体によって形成してきた伝統や芸術などの文化が起因し、時代の所産として生み出された風景に、価値を見出す概念です。


富士山は古来より、湧き水に恵まれ、人々は火山と共生する精神を持っていたため、自然と感謝の意を表する信仰が生まれました。これが現在でも、巡礼や富士登山として受け継がれています。
また、芸術の分野でも、19世紀前半の浮世絵や、西洋美術にもモチーフとして取り入れられました。

こうして、富士山は日本文化の象徴として、世界中に広まったのです。


富士山が世界文化遺産登録になったお陰で、2013年7月1日から21日までの登山客は、昨年同期よりも35%増加し、7万9057人も訪れたと発表がありました。
登山ルート別に見れば、静岡県の富士宮は21%、須走13%、御殿場6%。山梨県の吉田は60%となりました。


登山へは、外国人旅行客がとても多いとのことです。しかし、登山者が増えたため、様々な弊害も発生しました。
七合目にある公衆女子トイレでは、一時間近くも並ぶ羽目になったそうです。
また、登山をするに至り、装備などの対策をしっかりとしない人もいるため、高山病などによって体調の異変を感じる人が多いといいます。その為、夏季限定で、三箇所に救護所が設けられています。

救護所は24時間、開いていますが、人員の不足に悩まされているとのことです。

また、正規の登山ルートから外れる登山者も多く、大変危険な状況にあるそうです。正規ルート外は、落石防止の措置が取られていないため、いつ事故が発生しても、おかしくはありません。
2012年と比べ、遭難者が26人よりも多い、43人にも上りました。内、4人が重症を負い、1人が死亡したとのことです。

例年よりも登山者の増えた富士山では、さながら行軍訓練のように人が列を成しています。
遊園地で見られる長蛇の列と化している状態ですので、装備が整っていない人がいても、不思議には感じません。実際に、遭難した登山者は、ビーチサンダルを履いていたそうです。
こうした中で、登山者の安全を確保する一手段として、一人1,000円の入山料を徴収する案が、試験的に運用されています。この入山料を支払った登山者は、富士山の描かれた記念バッジが貰えるそうです。



富士山では、定期的に登山ルートのパトロールを行なうなどの安全対策が行なわれていますが、中には一風変わった弊害も発生しています。
ユネスコへの世界文化遺産への正式登録で、世界的に富士山ですが、それに伴って日本に訪れた外国人旅行者が、誤って群馬県桐生市に訪れるという盛大な迷子が発生しています。
実は桐生市相生町にある上毛電鉄には『富士山下駅』という、いかにも勘違いしそうな名前の駅が存在するのです。


間違いであるという事実を知った外国人旅行者は、とても悲しそうな表情をしていたそうです。
実は日本には、『富士山』という言葉を使った駅が、二つ存在します。一つは富士急行の『富士山駅(山梨県)』で、もう一つが上毛電鉄の『富士山下駅(群馬県)』というわけです。山梨県にある富士山駅は、富士山に一番近い駅として知られています。


群馬県の桐生市相生町で、何故『富士山下駅』という名の駅が誕生したかというと、この地には高さ40mの山があり、頂上には富士山信仰を伝えている浅間神社があるのです。
今でも浅間神社では、七月の第一日曜に山開き神事があるなど、地元住民から親しまれています。
しかし、実際に駅名が紛らわしいのも事実ではあります。今後、外国人旅行者が誤って訪れる可能性も、無きにしもあらずでしょう。

2013年8月4日日曜日

マクドナルドの歴史

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イギリスの家庭料理が美味しいという事実は、あまり知られてはいませんが、イギリスのレストランの料理が不味いという事実は、世界的にも有名です。しかし、私自身の意見を云えば、アメリカの料理も似たようなものですが。

アメリカの要所要所に点在する『ダイナー』とは、北アメリカで良く見られる、プレハブ式のレストランです。起源は、1872年のロードアイランド州ブロビデンスで、新聞社の社員向けに食事を販売していた、馬車のワゴンであったと云われています。
提供する料理は、ハンバーガーやフライドポテト、ホットドック、サンドイッチなど、揚げ物やグリル料理が多い、アメリカの典型的なジャンクフードばかりです。お店を立ち上げるために、高価な不動産を所有する必要もなく、僅かな初期投資でお店を構えられ為に、普及していきました。

しかし、1970年代にファーストフード店が勢力を伸ばし始めましたが、今でも大型店舗になったダイナーを散見することができます。
そうしたダイナーであれ、ファーストフード店であれ、提供される料理はアメリカ文化の骨頂ともいえるジャンクフードばかりです。こんな料理ばかり食べているから、アメリカ人の平均体重は250kgもあるんだ、と思うのですが、原色ブルーのケーキなどを平気で食すアメリカ人は、気にも止めないのでしょう。

アメリカを旅すると解かるのですが、どんなレストランに入っても、本当にジャンクフードしか扱っていません。だだっ広い、家が一件も建っていない埃っぽい荒野の只中を、ひたすら車を走らせて、やっと見つけた小さな町には、ジャンクフードを扱う食事処しかありません。しかも、出てきた料理は盛り付けセンスがゼロで、お皿に残飯を盛ったように見えます。個人主義者ばかりの欧米で、日本国並のサービスを求めるほうが間違いなのですが。
逆に、日本でジャンクフードを求めるならば、数社あるファーストフード店を選ぶことになります。
その中で、最も知名度の高い会社は、『マクドナルド』ではないでしょうか。



マクドナルドは、世界規模で展開する大手ファーストフードチェーンであり、全世界の店舗数は約33,000店にも達します。外食産業で世界第2位に位置するマクドナルドは、アメリカ合衆国にあるマクドナルド・コーポレーションが運営しています。
低価格を武器に、低所得者層が主な顧客になっています。アメリカでは、マクドナルドの売上の65%が、ドライブスルーによるものです。

マクドナルドが開業は、1940年でした。
カリフォルニア州サンバーナーディノで、マクドナルド兄弟が『スピード・サービス・システム』をキャッチフレーズに、工場式のハンバーガー製造方法を取り入れ、セルフサービスを導入させて、1948年以降に知名度が向上していきました。

『マクドナルド』にフランチャイズ形式を導入した人物は、ミルクシェイク用ミキサーのセールスマンをしていた、レイ・クロックでした。
1954年、マクドナルドの各席回転率の高さに興味を持ったクロックは、マクドナルド兄弟に「このシステムを売る商売をしてみてはどうか」と提案したが、マクドナルド兄弟は消極的でした。それでも、兄弟を合意させ、高額な契約金を支払い、積極的なセールス活動を開始しました。

ディズニーランドに採用してもらおうとし、ウォルト・ディズニーに直接、売り込みに行きましたが、これは失敗に終わりました。
しかし、イリノイ州デスプレーンズに、最初のフランチャイズ店の出店に成功し、大反響を起こしました。
1955年の3月2日には、『マクドナルド・システム会社《McDonald's Systems Inc.》』を設立し、同年の4月15日、シカゴに直営の1号店を開業させました。
尚、1960年に、社名を『マクドナルド・コーポレーション《McDonald's Corporation》』に変更しています。

後に、マクドナルド兄弟は充分、裕福になったため、経営権の全てを270万ドルでクロックに売り渡しました。長期的に見るとメリットがあると考えたクロックは、この高額な金額を、多数の投資家から資金を調達して支払いました。
クロックは、兄弟の店のすぐ北側に店舗を建てたのですが、当の兄弟の店舗は閉店し、すでに現存していません。

その後、マクドナルドは世界中に店舗を拡大していきました。共産圏で初めてマクドナルドが出店したのは、1990年1月31日のモスクワです。
トーマス・フリードマンの『黄金のM型アーチ理論』や、ロジャー・ドナルドソンの映画『リクルート』の台詞で、「アメリカはマクドナルドのある国は攻撃しない」というジンクスがありましたが、1999年のアメリカ軍によるセルビア爆撃によって、そのジンクスは破られる結果になりました。



クロックの描くマーケティング戦略の一つとして、子供を対象にした店舗にするという目標がありました。
フランチャイズ権を取得して、ワシントンで営業をしていたオスカー・ゴールドスティンが、道化師をしていたウィラード・スコットを雇い、マクドナルドのキャラクター『ロナルド・マクドナルド(Ronald McDonald)』として、1963年から二年間、コマーシャルに出演しました。

日本では、「ロナルド」と発音しにくいことから、「ドナルド・マクドナルド」と呼ばれています。
1990年代の後半までは、ドナルドが喋るCMが多かったのですが、それ以降のドナルドは喋らなくなりました。しかし、2002年のCMでは、ドナルドは長い沈黙を破り、ついに喋るようになったのです。
誕生日は7月20日、年齢は『永遠の若者』、靴のサイズはハンバーガー四個分くらいです。

喋り始めたドナルドは、カリスマと中毒性あふれるキャラクターとなり、ニコニコ動画では、多数のMADムービーが制作されました。これによりニコニコ動画内にてドナルド教が誕生、ドナルド・マクドナルドは「教祖様」と呼ばれるほどの人気を博しました。
これらのMADムービーはYouTubeを通して広がり、世界的にカルト的な人気を生み出しました。



日本におけるマクドナルドは、1971年(昭和46年)5月1日に、日本マクドナルド株式会社(現:日本マクドナルド・ホールディングス)を設立。藤田商店社長の藤田田が、マクドナルドに注目したことから始まりました。
フランチャイズ権を獲得後、1971年(昭和46年)7月20日に、銀座三越店内に1号店の銀座店を開店しました。

当初は、アメリカ本社からの要望で、アメリカの店舗と同じデザインの建物で展開するようにと指示がありましたが、藤田社長は「銀座が情報の発信基地であり、話題になれば必ず成功する」と執着したのです。また、交差点角という立地条件の良さから、三越を選びました。
1号店は面積が非常に狭いため、席がなく、持ち帰り専門店でした。値段はハンバーガーが一個80円と、当時の物価的に割高でした。しかし、1号店は大変話題となり、日本各地に出店していくことになりました。

1995年の円高時に、原料輸入コストの値下がりから行なった値下げや、2000年から行なったは平日半額キャンペーンの価格破壊で売上を伸ばし、デフレ時代の勝ち組とも呼ばれていました。
しかし、平成不況によって赤字転落、2004年からバリュー戦略の見直しを開始しましたが、安さが取り柄のジャンクフードで高級路線戦略を練ったため、迷走が甚だしいものになりました。

現在の会長兼社長である原田泳幸氏は、2012年から「待ち時間短縮のためのメニュー表の廃止」や「宣伝広告費を6倍に増やす」、「60秒無料サービス」、「100円メニューにはお買い得感がない」として空回りな成長戦略を講じるなど、見当違いの方向に全力投球を行ないました。
この結果、メニュー表廃止によって、注文により時間が掛るようになり、60秒無料サービスによって急いで作ったため、ぐちゃぐちゃのハンバーガーが出来上がったり、定番メニューが高額となりました。
ファーストフード店は本来、「安い・早い・手軽」があるべき姿ですが、日本マクドナルドは「高い・遅い・不味い」と、ファーストフード店として最悪の展開をしました。

スマホを使ったクーポンの導入、メニューの増加、一部の朝マックメニューを昼夜に販売して調理を複雑化するなどが、レジの会計速度と厨房の調理速度を著しく低下させた原因になります。
マクドナルドのセットメニューも600円から700円と、牛丼チェーン店の200円から300円の価格帯と比べると、明らかに高額です。
現在は、100円マックで生き延びているような状態ではないでしょうか。

これらの迷走は、クォーターパウンダーバーガーのサクラ行列から始まったように思えてなりません。
ファーストフード店の良さが失くなってしまった現在のマクドナルドは、今一度、マクドナルド兄弟当時の原点に戻る必要があるのではないでしょうか。